江口 正彦 Masahiko Eguchi 1958年生まれ(佐賀県白石町出身)
高校進学を断念しそうになるくらい貧乏だった。父親の転職で進学できそうとなり、商業高校や工業高校へ行こうと決めた。どうせなら将来性のあるものと工業高校の建築科を希望したが、担任の先生から「難しいから考え直せ」と一喝された。成績は中の中の中、やるっきゃないと入試100日前から毎日深夜まで猛勉強した。結果、成績は急上昇し、「やればできるんだ」と両親に感心された。
無事、佐賀県立塩田工業高校(建築科)へ入学。中学のときの猛勉強からコツをつかんだようで、建築科で1位だった。部活は『剣道部』で一応レギュラーでした。福岡大学の建築学部に推薦入学予定が、大学の方針変更や制度変更でまさかの浪人生活に突入してしまった。
浪人生活中に、欧米の住宅に憧れ米国留学を目指し1年間英語を自宅で勉強した。その後、千葉と東京の英語学校でさらに1年勉強して留学に必要な英語力を身に付けた。高校卒業後2年費やし、やっとのことで米国ミネソタ州立大学ダルース校への入学が認められました。
入学後1年半の間に、建築学専攻を何度も申請したが認められませんでした。理由は外国人だから許可しない。取得していた科目と単位数で、アドバイザーから数学もしくは物理の専攻を強く勧められた。また、1979年に新設されたコンピューター・サイエンスもあると説明され迷っていたが、コンピューター・サイエンスは難しいから、数学専攻が良いと断言された。コンピューターのことは何も知らなかったけれど、「難しいから・・・」の発言に奮起し、コンピューター・サイエンス専攻を即断してしまった。その後、5年を費やし、晴れて日本人第1号のコンピューター・サイエンス専攻で卒業した。
3年ほど流通システムの構築に携わり、日本アイ・ビー・エムの開発部門へ転職した。主に、汎用コンピューターや中小型コンピューターのOSを補完する機能の開発を担当し、使いやすいシステムを目指した。その後、メーカーは自分の製品しか知らないし、顧客企業の業務も理解していないという現実に直面してしまう。「業務はユーザーが一番知っている」という考えから、流通業やソフトハウスなど、顧客のニーズに直面する現場で活動してきた。
お客様の現場で喜んで使ってもらえる現場主導のシステム構築に注力し、お客様にもっと喜んでもらいたいと時代の先端を鑑みながら『あったらいいな』機能を提供する身近なシステムの実現に専念しています。
「誰よりも、どの会社よりも、安価(適正価格)で提供できる」と自負しています。
私の履歴書
高校生までと米国留学前
佐賀県富士町に生まれ、小学校入学から19歳まで佐賀県白石町に住んでました。そして、千葉県稲毛市と都内赤坂見附の英語学校で米国留学の準備でした。写真は高校卒業アルバムからスキャンしました。
2021-04-05 更新
留学 University of Minnesota Duluth, USA
20歳から25歳まで米国留学。Computer Scienceを専攻し卒業しました。仲間から図書館の勉強部屋はお前の「オフィス」だと言われるくらい勉強に明け暮れていました。
社会人となって
無事卒業でき米国から帰国し、社会人となり働き始めました。米国の大学を卒業しても、日本では高校卒業と見做された時代でした。縁あり、システムエンジニアとして採用してもらい、いろんなことにチャレンジしていきました。
私の考え
準備中




